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ハイチ共和国
国名:
ハイチ共和国
位置:
カリブ海
面積:
27,750km
2
首都:
ポルトー・プランス
人口:
約800万人
政治体制:
共和制
公用語:
フランス語、クレオール語
通貨:
グールド
ハイチの歴史
クリストファー・コロンブスがハイチの島影を目にしたのは1492年12月6日のことでした。
「すばらしい。」3隻の帆船が湾内にいかりを打つのを眺めながらコロンブスはそう叫び、その日が祝日であった聖ニコラスに因み、コロンブスはその地をセント・ニコラスと名づけました。
タイノー族やアラワク族、カリブ族といった先住民たちは最初コロンブスたちのことを恐れましたが、ほどなくコンキスタドール( 征服者)たちをあたたかく迎え入れたのです。
コロンブスはその島をイスパニョーラ島と命名。アメリカで最初のヨーロッパ人による集落が作られました。
1791年、トゥーサン・ルーヴェルテュールの指導の下、奴隷たちが蜂起しました。それから14年間、血で血を洗うような壮絶な戦争を経て奴隷たちはついに自由を勝ち取ったのです。1804年、かつての奴隷たちは自分たちの島を伝統的インディアン名であるハイチに戻し、世界初の黒人による共和国として独立。また西半球では米国に次いで2番目の独立国家となったのです。さらに、このハイチの独立は奴隷たちの反乱が成功し、国家の創設に結びついた史上初めての例となりました。
今日、ハイチ共和国はさまざまな文化が混ざり合った多文化国家として成功を納めています。公用語はクレオール語とフランス語ですが、旅行者には英語やスペイン語でも話しかけてくれます。料理は洗練されたフランスの伝統とスパイシーなアフリカン・テイストが一緒になった独自の味を作り上げています。太陽が降り注ぐ小島と豊かな歴史や文化、それがハイチからの贈り物です。
自然のままのビーチが延々と続く一方で、連なる山々はスイスを思わせる景観を形作っています。コロンブス以来、ハイチを愛する人たちはこの国を「カリブ海の真珠」と呼んでいます。蒸し暑さとは無縁の快適な気候です。
19世紀初、クリストフ王により建てられた城砦
キョナビーチ
サンスシ宮
ジャクメル近郊の海岸
ポルトー・プランスのラッシュアワー
ナショナルパレス
「私の村」フルール作
「七面鳥」アルボットボナム作
ブードゥー教
ブードゥー教の儀式はきわめてユニーク。世界最古の宗教の真髄に触れるミステリアス・トリップを体験してください。
アフリカの祖霊崇拝から生まれたブードゥー教は、アフリカの土着信仰や儀式とキリスト教とを組み合わせ、ハイチ独自の宗教を生み出しました。他の宗教と違い、中心となる教会を持たず、聖典も神学もありません。ハイチの人たちが自分たちの生活スタイルに合うように作った、儀式によらない宗教なのです。ブードゥー教の根幹には多くの迷信があり、歌と踊りによって祝います。
ハイチの街
1749年に建設され、その後地震や火災によって何度か再建されたハイチの首都ポルトー・プランスは建築物にフランスの名残を見ることができるものの、フランス植民地時代に建てられた最初の町のイメージはまったくありません。
ポルトー・プランスは決して止まることのない活気に満ち溢れた都市です。昼間は太陽の下で動き回り、夜になると何千個もの明滅する露店商の明かりが通りを照らします。そうした夜中の通りはイスタンブールやバンコク、ニューデリーの街を思わせますが、そこにはカリブ海ならではの独特な香りが漂っているのです。
タップタップを見たことがありますか?あのタップタップを? ポルトー・プランスなら、街中いたるところで見ることができます。タップタップは小型トラックを改造したバスで、車体の前を派手に飾りたてたり、あるいは自分の名前や、「風変わりな人生」、「愛しのシモーヌが戻ってきてくれた」、「努力の結晶」、「キリスト様のお通りだ」、「フランス国王の葬儀」などというユーモラスな言葉や謎めいた言葉を書き、大音量で鳴り響く最新のメレンゲのリズムに合わせて車体を揺らしながら走ります。ポルトー・プランスではこうした愉快な発見に事欠きません。タップタップが集まるのは鉄市場の前や、ポルトー・プランスの街に負けず劣らず奇妙な建物のバリエール市場です。
ミナレット(尖塔)のある鉄製のモスクが赤とグリーンに塗られ、カリブ海の街のど真ん中に立っている姿を想像してください。1世紀ほど前、フランスの企業がトルコ政府のために建てたモスクを、当時のイポリート大統領が買い取ったというのが、今のような姿になったいきさつです。
今日、鉄市場には大勢の人が訪れてにぎわいを見せています。マーケットに入り、群がる物売りの間を抜け、積まれた商品の上を通り越して行くのはちょっとわくわくする冒険です。缶を利用して作ったランプ、鳥かご、台所用品、古タイヤで作られたサンダルなど、ここでは何でも無駄にすることがありません。鉄市場には本当の値打物も売られています。
中でも絵の数は膨大でじっくり探せばちょっとした傑作が見つかるかもしれません。マホガニー製のテーブルウェア、かご、種類が豊富な帽子、木彫品、ドラム缶を切って作った有名な鉄製の「彫像」などありとあらゆる品が集まり、その中には掘出し物も含まれています。値段も手頃なものばかりですが、ここでは値切るのが礼儀。
街の中心から行政地区にも足を伸ばしてみましょう。この地区の中心にあるのは調和のとれた白い建物、ナショナル・パレスです。この町は1689年にフランスの植民地主義者ジャック・ド・メロが建てたものです。かつてはヨーロッパを相手としたコーヒーやオレンジピール(フランス製のリキュール、コアントローの原料)、綿の貿易で栄えたこともありました。
ポルトー・プランスからジャクメルには南ゲートを抜けて行きます。ハイチを代表する芸術家や知識人を輩出したジャクメルは現在もフランス植民地時代の香りを色濃く漂わせています。スタッコ仕上げの壁に鍛鉄製のバルコニーは華やかな19世紀の様式を今に伝えています。
またコーヒーの貿易では黄金時代を築いたこともありました。パナマ帽をかぶった相場師たちがにぎやかな通りを闊歩し、港には世界中から荷物を満載した船が集まってきました。現在のジャクメルは静かな町です。ハイチ国内やヨーロッパ、アメリカなどからやってきた芸術家たちが作る小さなコロニーが眠気を誘うようなこの町に活気をもたらし、カリブ海のリトル・イビサといった風情を呈しています。曲がりくねった路地に入り込み、じっくりと見て回れば一軒一軒の家がまるで宝石のようであることに気づかれることでしょう。
ルカプ(キャップアイティアンの別称)へは飛行機で行くことができます(ポルトー・プランスから30分)。またマイアミからも直行便が出ています。ポルトー・プランスから車で行くのも楽しいでしょう。
現在のルカプは活気がみなぎる港町。植民地時代から変わらないせまい通りは碁盤の目状に走っています。通りの両サイドにはやさしい色に塗られた家が軒を連ね、古き良き時代の雰囲気を伝えてくれます。中には19世紀、クリストフ王の時代にまでさかのぼるものもあります。
絵画
ハイチの滞在が大冒険の始まりになるかもしれません。美術品コレクターの多くは休暇になるとまずハイチを訪れます。この国では絵を描くことが生活の一部。歩道や壁、家の中などいたるところに絵があります。道に迷ったら有名画廊を探すのが一番よい方法です。ポルトー・プランスやキャップアイティアン、ジャクメルには、最高の絵画を集めた美術商が数多くいます。ハイチの絵画に関するすべてが始まった場所であるアートセンターに行ってみるのもよいでしょう。
1940年代はじめ、米国の若い教師デウィット・ピータースはハイチの魅力の虜になりました。ハイチの先住民が描く絵が持つ生命力と新鮮さに感銘を受けたのです。そこで、画家たちが作品を発表できる場所を作る決心をしました。またたく間にアートセンタ−は世界中のコレクターの注目を集めるようになりました。ハイチの絵画は世界的な評価を勝ち取り、いまだにその評価は上がり続けています。
− IDB現地事務所経由ハイチ共和国政府提供
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