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ペルー共和国

正式名称: ペルー共和国
人口: 2,754万人(2004年6月)
言語: スペイン語(80%)、ケチュア語(16%)、アイマラ語その他先住民の言語(3%)はその言語が話されている地域では公用語として認められています。
首都: リマ
通貨: ヌエボ・ソル
国の基本体制: 立憲共和制
行政区分: 24地域
国内総生産(GDP): 600億米ドル(2003年)
一人当たりのGDP: 2,178米ドル(2002年)
GDPの成長率: 約4.5%(2004年)
インフレ率: 2.5%(2003年)
外貨準備高: 123億9,600万米ドル(2004年11月)

経済
ペルーの首都リマ
ペルーの首都リマ
11月下旬現在、ペルーは38ヶ月連続で成長を続けています。鉱業の回復や手工業、商業、サービス業の強力な推進力が国内生産の指針の上昇を促進し、最も楽観的な予想をさえ上回る6.0%の成長率を上げています。この事は、ペルー経済が生産活動の活発化という局面を迎えている事を示しています。

IMFはペルー経済の本年度の4.5%の成長を予測しています。国際機関は、ペルーは2005年におけるアンデス地域の中で最も高く、南米では2位の経済成長率を遂げるであろうと見ています。

この経済成長の土台には、鉱業、石油や天然ガスの分野における民間企業の努力があります。重要なプロジェクトであるAlto Chicama(Pierrna鉱山でも操業しているBarrick社による金の採掘)、Camisea(天然ガス)からの収益などがあげられます。2006年には、住友金属鉱業と住友商事によるCerro Verde(銅)への3億5,000万米ドルの投資からの収益が見込まれています。

国際金融機関JP Morgan Chase、Fitch Ratings、Standard & Poor'sによるとペルーの評価は危険な国としてのポイントが270ポイント下がり、投資グレードAから2つ目のBBへと改められました。ペルー国財政の明るい兆候、マクロ経済の堅固さ、輸出の増大がこの改善を支えています。

2004年の年間の驚くべき輸出増大は、結果として100億米ドルを越すものとなりました。ペルーは以前にはこのような輸出額に到達した事はありませんでした。2004年末には輸出総額は112米億ドル、輸入総額は89億米ドルに達する見通しです。これは23億米ドルの黒字になると言う事が出来ます。

実際に、米国と、2005年上半期にはタイと自由貿易協定を結ぶべく交渉しています。同様にシンガポール、その後中国とも同様の協定を結ぶ交渉が開始されます。

GDPにおける赤字率は、今年は1.4%に2005年は1%に下がる見通しです。

石油の値上がりにも関わらず、投機的な理由から他の産物も、2003年は比較的安定した値を維持し、2004年のインフレ率は2.5%と予想されています。

最後に、外貨準備高の増加が提示されました。また、2004年11月末には外貨準備高は123億9,600万米ドルに達します。これは18ヶ月以上の輸入をまかなう額になります。

日本とペルーとの関係
日本とペルーとの関係は古く、日本がペルーと国交を結んだのは1873年8月21日で、世界で14番目、南米諸国の中では初めての国となりました。1899年4月3日ペルーのカリャオ港に到着した日本人移民を受け入れたのもペルーが南米で最初の国です。この4月3日は「日本・ペルー友好の日」の記念日とされています。日本とペルーの長い友好の歴史の中には、1889年のラテンアメリカにおける日本人の最初の投資や、日本の国際連合への加盟に対するペルーからの支援、1961年、第2次世界大戦後初めての国家元首Manuel Pradoの訪日、1963年の皇太子殿下、美智子妃殿下と、日本人移民100周年に当たる1999年の紀宮殿下のペルーご訪問がありました。

このような友好の歴史の他に、約10万人のペルー日系人社会は、南米の中では2番目に、世界では3番目に重要な位置を占めています。日本の在住ペルー人は7万人近くで、日本でスペイン語を話す外国人の中で一番多いのがペルー人です。

2002年日本・ペルー両国間の貿易は7億米ドルに達し、2003年は6億米ドル、2004年はまた、7億米ドルを越すと予想されています。貿易収支はペルーにとって順調に推移し、2004年の対日ペルー輸出は、昨年の同時期より57.3%の増加を見ました。

一方、現在の法的安全保障と効率の良い制度の結果、世界市場において、海外からの投資を保証するレベルが上がり、またそれが反映して日本からの投資を著しいものにしました。ここ3年、日本企業の三菱、住友は、90年代には約8,400万米ドルだった投資を、およそ5億米ドルにするという取り決めを通知してきました。

自然
海岸地帯 太平洋側に面した海岸砂漠地帯で、3,050キロメートル近くの海岸線が続きます。一年を通して雨がほとんど降りませんが、6月、7月、8月の冬にはガルーアという霧が立ち込める曇天の日が多いです。アンデス山脈には一年に3ヶ月から6ヶ月間位の雨季があり、雨季に降る雨が山岳地帯を激流となって川に流れ落ちます。海岸地帯にはそれらの川の流れにより出来たオアシスが各地に点在しています。首都リマ、地上絵で有名なナスカ、農業中心の高度な技術を持っていたパラカス文化が栄えたパラカス、インカ時代以前に栄えたモチェやチムー文化の広大な遺跡が点在するトゥルヒージョ、シパンやシカンなどの遺跡があるチクラーヨがあります。

Ancashの風景
Ancashの風景
山岳地帯 アンデス山脈が南北に3地帯に分れ、3つの山の列として西山脈、中央山脈および東山脈があります。西山脈は太平洋側の川とチチカカ湖流域に流れ込む川との分水嶺になっています。東山脈はカラバヤ山脈とも呼ばれアマゾン側の斜面を流れる川とチチカカ湖に流入する川との分水嶺になっています。

南部アンデス地域には、西山脈、東山脈という2列の山々が、中央アンデス地域には、西山脈、中央山脈および東山脈という3列の山々が、北部アンデス地域には、西山脈、中央山脈および東山脈があります。

ペルー最高峰の海抜6,768メートルのウアスカラン山がそびえるこのアンデス地域には重要な鉱物資源、動物および植物資源が存在します。また空中都市マチュピチュ、インカの首都であったクスコ、チチカカ湖のプーノ、白い町と呼ばれるアレキーパ、温泉で有名なカハマルカがあります。

熱帯雨林地帯 ペルーで最も広い地帯であり、高地森林、アマゾン地域のアンデス山脈と呼ばれる帯状の森林地帯と低地森林やアマゾン平原と呼ばれる地域の2つの部分に分けられます。アマゾン川は、ペルーのアンデス山脈の南東にある雪山ミシミ山(Nevado Misimi)に発し、ペルーの東部を南から北や北東へ流れ、その後、東へ流れ大西洋へ注ぎ込みます。イキトスはアマゾンの最も重要な都市です。そこには世界で唯一喫水の川にあり、水深も十分にあるイキトス港があります。

ユネスコ世界遺産
ペルーでは、10ヶ所がユネスコ世界遺産に指定されています。

クスコ市街《文化遺産》1983年
11〜12世紀頃に建設され、標高3,250メートルにある太陽神を崇拝するインカ帝国の都として栄えましたが、16世紀スペインからの征服者によりインカ帝国は滅びました。インカ時代の美しく精密な石組みと、スペインのコロニアル建築が融合した独特な雰囲気が漂う町であり、「カミソリの刃1枚も通さない」インカ時代の見事な石積みは、町のいたるところで見ることができます。

マチュピチュの風景
マチュピチュの風景
マチュピチュ歴史保護区《複合遺産》1983年
アンデス南部に位置し、1911年に米国の探検家ハイラム・ビンガムによって全世界にその存在を知られるようになりました。インカ時代の言語のケチュア語で古い峰を意味するマチュピチュは、ウルバンバ川の深い峡谷からそびえる山の頂上の熱帯雨林地帯に位置し、ジグザグの細い山道をバスで登って行くと突然目の前に現れる雄大な遺跡は「謎の空中都市」と呼ばれ、世界でも類を見ないほどの美しい風景と建築で、訪れる人々を魅了します。信仰の中心地、宇宙観測基地、インカのパチャクテク皇帝の家族の個人所有地であったなど色々な説がありますが、文字を持たなかった為未だに解明されない多くの謎を秘めています。

チャビン古代遺跡《文化遺産》1985年
アメリカ大陸でも最も古い神聖な場所のひとつであるチャビンは、紀元前1000年から300年にかけて栄えた宗教的中心地でした。ペルー北部のワラス市から車で3時間程の標高3,185メートルに位置し、いくつかのピラミッド型の建築物と、複雑な地下道は全て石造りです。地下道にある弓型門や柱には、チャビン文化の主だった図像である肉食獣や猛禽や蛇の浮き彫りが彫られています。また、この地下には、3.75メートルの1本石に彫られたランソン像があります。

ワスカラン国立公園《自然遺産》1985年
南米アンデスで、2番目に標高が高い国立公園であるワスカラン国立公園は、6,000メートル級の山々を擁する山脈地帯に属しています。ペルーのアンデス山脈の中で最も標高の高い山(6,768メートル)であるウアスカラン山は、北部アンデス地域東側のブランカ山脈に位置しています。

チャンチャン遺跡地帯《文化遺産》1986年
アドベ(日干しレンガ)で作られたプレインカの遺跡としては世界最大の遺跡として知られています。ユンガ語(Lengua Yunga)でチャンチャン(Jang Jang)は「太陽・太陽」という意味です。トゥンベスまたは、エクアドル国境付近からリマまでの地域を支配していた強大な国家であったチムー時代(紀元700〜1400年)の首都であったチャンチャンは、ペルー北部のラ・リベルタ県のモチェ川流域に位置し、約20平方キロメートルの地域に、約10万人が暮らしていたと言われています。

マヌー国立公園《自然遺産》1987年
マヌー国立公園は、マドレ・デ・ディオス県のマヌー地域とクスコ県のパウカルタンボのペルーアマゾンのアンデス東部に位置します。公園内には様々な部族が住み、その大半が現在も私達が住む世界と隔絶された生活を営んでいます。また、マヌー国立公園内は、2万種の植物、1,200種の鳥類、200種の哺乳類の宝庫であり、現在その数も特定されていない無数の爬虫類、両生類、昆虫も棲息しています。

サンポーニャを吹く少年
サンポーニャを吹く少年
リマ歴史地区《文化遺産》1988年、1991年(サン・フランシスコ修道院を加える)
「王族の町」と呼ばれたリマは、その創立時より南米スペイン植民地における文化とエレガンスのオアシスでした。当時のバロック様式やルネッサンス様式の教会やリマの著名な建築様式の施されたバルコニー付きの宮殿が残され、リマを訪れた人々は美術館、アートギャラリー、インカ文明の史跡など、文化と歴史に触れる事ができます。

リオ・アビセオ国立公園《複合遺産》1990年、1992年
アンデス東部のアマゾン川の支流であるマラニョン川とウアリャガ川との合流地点に位置しています。1,500平方キロメートルの広さのこの国立公園内外は、スペイン人の到着以前の貴重な証の地とされています。1986年からリオ・アビセオ国立公園は一般立ち入り禁止となっています。

ナスカとフマナ平原の地上絵《文化遺産》1994年
イカから2時間の距離にあるナスカとフマナ平原の地上絵には、450平方キロメートルにわたって動物、鳥、神々など様々な線が一筆書きで描かれています。1927年に発見されたこの地上絵は、紀元前300年に栄えたナスカ文化の貴重な遺産です。この地上絵は、長さが300メートルのものもあり、空からしか全貌を見ることができません。

アレキパ市の歴史的中心部《文化遺産》2000年
ペルー第2の都市であるアレキパ市は、アンデス南部に位置し、白い火山岩を使って家や市の公共施設を建設したので、「白い町」として知られています。付近には素晴らしい自然の景観のコルカ峡谷(Cañones de Colca)やインカ時代の段々畑があり、16世紀に建てられたいくつもの別荘も見ることができます。

関係機関連絡先
ペルー大使館
ルイス・マキャベロ大使
アンドレス・ガリード三等書記官
経済・商務担当
〒150-0011  東京都渋谷区東4-4-27
Tel: 03-3406-4243 Fax: 03-3409-7589
ペルー総領事館
エクトル・マタジャーナ総領事
〒141-0022 東京都品川区東五反田1-13-12
富士ビル6階
Tel: 03-5793-4444 Fax: 03-5793-4446
―在日ペルー大使館提供