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集落で観光事業を運営できるか?
エコロッジを作り、国際的評判を得たボリビア地元住民の村 |
ロジャー・ハミルトン
ニバルド・サラスが55馬力のジョンソンモーターのエンジンをかけ、丸木舟は注いだばかりのコンクリートのような色をした波柱を切るように急流を進んでいく。乗客は、船べりにしがみつき、揺れる波を薄気味悪そうに見つめている。
目的地は、ボリビア北部の熱帯雨林の奥深くにあるチャララン・エコロッジである。乗客の目的は、「この草葺屋根の小屋が集まる集落がなぜ通の旅行者の『知る人ぞ知る』メッカ、そして世界各国で開催されるワークショップや会議のテーマになったのか」を学ぶことにある。
そして今、少なくとも旅行者の何人かは、水しぶきでずぶ濡れになりながら、20年前にこの川を一躍有名にした出来事に思いを馳せている。当時、トゥイチ川やその流域の原始林は現地以外ではほとんど知られていなかった。イスラエルの冒険家ヨッシ・ギンスバーグがバルサ材の筏でこの川の探検をすることになったのも、まさにこの神秘のオーラに引き寄せられてのことであった。筏は転覆した。そしてギンスバーグは極度の疲労と餓死寸前の状態で20日間かろうじて生き延び、サンホセ・デ・ウチュピアモナスという地元住民集落の人々に助けられた。ギンスバーグはこの経験について一冊の本を書いた。そして、それ以降は知ってのとおりである。
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集落のスタッフ(事務員、料理人、部屋係、ガイド)が全員集合
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今日、新しく誕生したマディディ国立公園の入り口にあるルレナバケの町が、繁栄する観光産業を支えている。この町には22軒のホテルや旅館があり、年間2万人の観光客を受け入れている。レストランのメニューは、スペイン語だけではなく英語とヘブライ語でも書かれている。道路には、「この上なくエキサイティングな冒険」、「最高のガイド」、「最も人里離れた場所」、「最低料金」を約束する色とりどりの看板が並んでいる。
チャラランは、オランダの王子などが訪れ、地元のエコツーリズム界でひときわ明るく輝く星であるとともに、複合的なベンチャービジネスを地元の集落が立ち上げて経営できることを実証している。
アイデアの誕生
ギンスバーグの本がちょっとしたベストセラーになると、自分の目で確かめようとトゥイチ川地域を訪れる冒険家や観光客が増え始めた。そしてこうした人々を収容するため、ホセサノス(サンホセ・デ・ウチュピアモナス住民の自称)は、エコツーリスト・キャビンを建てた。しかし、チャララン・プロジェクトの創始者の一人であり、現在エコロッジのマネジャーを務めるギド・ママーニは次のように回想する。「コンディションは原始的だった。我々は考え方が狭く、無給で働いていた。製材会社が参入してくる来ることが分かっていたので頭の中には森林保護のことしかなく、プロジェクトがどのように成長していくかなど考えてもみなかった。」
1993年、ギンスバーグは再びボリビアを訪ね、それから2〜3年ママーニと共により大型のエコツーリズムプロジェクトの支援を求めて回った。ボリビアの首都ラパスで何軒も訪ねた末にようやくたどり着いたのがワシントンD.C.に本拠を置く世界組織コンサベーション・インターナショナルの現地事務所だった。その時点で、コンサベーション・インターナショナルは、鳥類だけでも1,000種以上あるこの地域の素晴らしい生物多様性を記録に残し、多彩な生態系について解説する広範な科学的作業を既に実施していた。保護事例が作られ、1995年には、ボリビア政府によって190万ヘクタールにおよぶマディディ国立公園が指定された。
コンサベーション・インターナショナルは、エコロッジの案を「手つかずのままの自然を保護することによって経済的な見返りが得られることを実証するチャンス」と捉えた。そして、そのプロジェクトには資金が必要だったため、民間プロジェクトに資金供与を行っているIDBグループの一機関である多数国間投資機関(MIF)に話を持ち込んだところ、145万ドルの拠出が得られ、1994年にエコロッジ・プロジェクトが開始された。
これが、それまで生計を狩猟や漁猟、小規模農業に全面依存していた地元住民が、世界各国の観光客に対応する複雑な企業を新設する素晴らしい物語の始まりであった。
歓迎のコーラス
上流へ5時間遡ると、船頭のサラスは主流から森林の中の船着場へと船を進める。船着場が近づくと、そこがチャラランであることを示す目立たぬように建てられた看板が目に入る。
サラスは、ぬかるんだ岸に丸太舟の船首を乗り上げて乗客を降ろす。ポーターに荷物を預けて30分歩くとロッジに到着である。
そこにはスタッフが待っていて、「ようこそ。チャラランで楽しい時をお過ごしください」と歌って出迎える。このフレーズは、ウェイターやポーター、料理人、掃除係、ガイドから1日に何回か聞くことになる。実際に、スタッフは、エコロッジの建設や維持、管理に必要な諸々のことと平行して、挨拶についての教育も受けている。これは、チャラランが成し遂げた功績であり、来訪者にとって大きな魅力であるとともに他の地域主体の観光ベンチャーにとっては体験学習として価値のあるものである。
女性がトロピカルフルーツのドリンクが入ったグラスを配る。普通であれば、処理をしていない水を恐れている観光客にとって気持ちの良い体験ではない。しかし、心配はご無用。料理人は、美味で見映えが良いだけでなく安全な飲食物の調理方法を教える講座を受講しているのである。また、7日間の日替わりメニューの立て方を修得し、野菜やデザートを準備するコツもマスターしている。また、髪を整えて帽子の中に入れる方法、テーブルセッティング、ベッドメーキング、バスルームの掃除の方法も学んでいる。
歓迎式が終わると、客の一人が湖畔の遊歩道の方に歩いて行く。すぐさまその客にガイドのオビディオ・バルデスが寄り添う。「最初に教わったことの一つは、観光客が道に迷ったり、怪我をしたりしないよう、観光客から絶対に離れないこと。また、『我々にはできることでも観光客にはできない』ということも教わった」と言うバルデスの言葉には軽蔑のかけらもない。
バルデスなどのガイドは、サンタ・クルスで15日間の野性生物管理講座を受講し、現地の動植物の知識を補足するために公園や動物園を見学している。そしてチャラランに戻ると、ロッジの25kmの小道を丹念に調べ、薬草や ハキリアリの話をする術を練習する一方で、ナマケモノや猿の群れがいないか常に観察をしている。
ガイド達は、観光客が何に興味を持っているのかを判断し、心に残る時間を体験してもらう術を修得している。インカ帝国時代以前の廃墟を見物した時のことである。バルデスが藪の木の枝を折ると中から小さな蟻がうようよと出てきた。するとバルデスは、その枝を同行者に差し出して、「レモンのような味がしますよ」と言ったものである。
ロッジに戻ると、チャラランの成功を支えている素晴らしい学習プロセスを示す証拠が他にも観光客の目に映る。シンプルでありながらもチャーミングなロッジの建物は地元住民が建てたものである。窓や開き戸の作り方といった大工仕事は相談員から教わり、それにヤシの葉の屋根といった昔ながらの知識を地元住民が補足したのである。チャラランの収容人数は24名である。
地元住民は、厳しい家具製造技術までも学び、森の工作場でテーブルや椅子を製造している。その技は、地元の木材の明るい色調の持ち味を充分に活かすレベルのものである。
集落の数少ない高校進学者の一人であるギド・ママーニは、企業経営に必要な能力を修得するため管理経営と会計のコースを専攻した。
チャラランの学習の過程では地元の自治体も一役買っていた。コンサベーション・インターナショナルが、地域の魅力を売り込む方法、施設の基準を設定する方法、特に安全面から規制を実施する方法について地元の担当官に教えるコンサルタントを連れて来たのである。担当官は、観光のインフラの条件や環境保護の基礎についても勉強した。
集落の要因
チャラランに滞在してその生みの親である集落を見学しないのは画竜点睛というものであろう。
さらに上流へと進むと、川幅は狭く、勾配は急になり、波しぶきも増す。丸太舟がサンホセの船着場に到着すると幼い子供や少年・少女達が大勢駆け寄ってくる。そこから20分歩くと、一行は、草に覆われた広い道沿いに、草葺屋根の家が一定間隔で整然と並ぶ集落に到着する。池ではアヒルが泳ぎ、その傍らで子供達が水浴びをし、女性が洗濯をしている。
地元住民は、300年前に高地からトゥイチ川流域に移り住んだケチュア族である。彼等は元々住んでいたタカナ族の生活様式に適応し、米やバナナ、ユカの輪作を行っている。また、小動物や家畜の飼育やコーヒーやカカオの栽培も行い、ルレナバケの町で売っている。
チャララン・プロジェクト開始当初、コンサベーション・インターナショナルは、20家族にチャララン・エコロッジの株を買ってもらい、最終的にチャララン・エコロッジの所有権をこの20家族に戻すことを考えていた。しかし、地元住民はこの方式に難色を示した。富はもっと平等に分配するのが彼等の伝統だったからである。そして最終的に、ロッジ建設に26日間労働奉仕することによって全ての家族にこの企業の株を買う機会が提供されることになった。
今日、チャラランは、ボリビア初の集落による全面出資のエコツーリズム企業である。株式の50%はサンホセの個別の家族、そして残りの50%は社会開発・保護活動を実施するために設立された集落の団体(the Local Territorial Organization)が保有している。
多彩な利点
よそ者はチャラランや、エデンの園のようなサンホセに簡単に夢中になる。しかし、村人にとってはチャラランができたことによってどのような恩恵があったのだろうか。
一見したところ、サンホセは牧歌的だが生活は相変わらず厳しい。しかし、チャラランができる前に比べればましである。チャラランのマネジャーであるママーニは、「外界との交流がなかった。灯油や石鹸が必要な時にはルレナバケの町まで行かなければならず、持ち帰るのに3日かかった」と言う。換金作物を市場まで運ぶ手段は「筏」しかなく、川を下るのに2日、歩いて帰るのに6日かかっていた。筏が転覆して荷物が流されてしまうこともあった。
新しく道路が建設されて(建設資金の一部はチャラランの収益)問題が軽減されても孤立による苦労は相変わらずである。到着したほぼその時から訪問者には「帰りにルレナバケまで乗せていって欲しい」という頼みが殺到する。学校に戻らなければならない子供達もいれば、病気の姉妹を見舞わなければならない女性もいた。要望は多すぎて丸太舟には乗り切らない。
チャララン・プロジェクトは、別の面で苦労の軽減に役立っている。その一つが雇用の創出であり、18名から24名の地元住民が直接雇用されている。ガイドが日給であるのを除き、全員固定給である。また、このロッジは利益も生み出している(後述の「では利益は?」の項を参照)。
しかし、エコツーリズムは万能ではない。コンサベーション・インターナショナルのアメリカ大陸エコツーリズム担当マネジャーであるステファン・エドワーズは、「エコツーリズム業界は、自然災害や通貨の変動などの影響を受けやすい、浮き沈みの激しい業界」と言う。「エコツーリズムで金儲けをすることは『絶対に不可欠』」というのがエドワーズの持論だが、「『ドル箱になるだろうか』とか『主な収入源になるだろうか』という思惑には反対する」ということで
ある。
また、村人は、期待と現実の折り合いも付けている。その夜に観光客とサンホセの有力者との間で行われた会合の席で、ある教師は、「未来のために観光は重要だが、観光客が来ない時でも収入が得られるように農業や工芸など、観光以外のものも必要」と述べている。
実際に、このプログラムによってエコツーリズムを遥かに超える恩恵がもたらされた。種子や苗木がなかなか手に入らないという問題は依然としてあるものの、農業の専門家が村人に野菜の新しい栽培方法を教えてくれた。コーヒーやカカオの木の間に短期作物を植え付け、長期だけでなく短期に収穫が得られる農林法も学んだ。また、プログラムでもみすり機を購入したため、サンホセの女性は手作業で米の籾殻を分ける苦労をしなくてすんでいる。
また、相談員は、飼料の改善や病気の予防など、地元住民に適切な養鶏法を教え、少なくとも村人の1人が卵の事業を起こしている。この他、工芸品を製作している地元住民もいる。ある男性は木の面を彫り、数ヶ月で最高130ドルを稼ぐ。また、バスケットやネックレス、陶磁器を製作している者もいる。
また、このプログラムは集落全体にも恩恵をもたらし、今では、地元住民は、プログラムの資金で建てられた公民館で共通の未来について計画を立てる。公民館には観光客用の部屋、そしてサンホセとチャララン・エコロッジ、ルレナバケ、ラパスを結ぶ無線機がある。無線機は、衛星電話、そして村人に重要なニュースを知らせる時に使う拡声器装置と同様、新しいソーラーパネルで作られたエネルギーで作動する。
集落にとって最も重要な改善は、国際機関CAREと共同で作られた飲料水装置ではないだろうか。このプロジェクトを完成させるため、各家庭が45日の労働奉仕を行い、村の両端に1ヶ所ずつ計2ヶ所に泉を作り、そこから各家庭に配水管を引いたのである。
最後に、サンホセとルレナバケを結ぶ道路がある。集落が長年待ち望んでいたこのプロジェクトは、地方自治体が実施したもので、チャラランの利益からの拠出金も用いられた。この道路により地元住民の生活は大幅に簡素化されるだろうが、その一方で、アルティプラノ高原から農地や定住地を求める人が殺到するおそれもある。
観光客の交通の便も依然として問題である。ルレナバケの滑走路は舗装されておらず雨が降るとぬかるむため、11月から4月にかけての雨季には欠航の可能性が絶えず付きまとう。観光客は、飛行機が出発する軍用飛行場で天候が好転するのを今か今かと待つのである。
では利益は?
ロッジの建設や運営、そしてその他の恩恵を村人にもたらしたことが主たる功績であることは誰も否定できない。しかし、事業としてのプロジェクトの実績はどうだったのだろうか?また、プロジェクトから利益は生まれたのだろうか?収支は?
まず、中小企業の起業は例外なくリスクの大きい冒険である。コンサベーション・インターナショナルのエドワーズは、「米国でさえも、中小企業10社のうち7社は失敗している」と言う。チャラランは普通の事業ではない。さらには一般的なエコツーリズム企業でもない。規模の小ささ、辺境の地であること、地元の集落や環境に対する責任など、エコツーリズムの起業家が直面する本来の制約があるだけでなく、訓練された労働力や複雑な村内の政治や利益団体といった課題も解決しなければならなかったのである。
しかし、実際問題、この常識外れのベンチャービジネスは成功した。2000年、大勢の支持者や有志は喜びに沸いた。プロジェクトが最初に立案されてから7年、最初の客を迎え入れてから3年にしてチャラランが22,000ドル近くの利益を上げたのである。収益は、ルレナバケ新営業所などの新施設の購入に充てられた他、サンホセとルレナバケを結ぶ道路の新設費として自治体に2,000ドル拠出された。
昨年のエコロッジの利用率は45%、総収入は前年を40%以上上回った。また、利益も54,000ドルを上回ると予測されていた。(予測値は、11月9日のテロ事件前のものである。)
しかし、チャラランが商売的に成功を収めたことは、事業関連の支出と第三者のための外部便益を生み出すコストを慎重に分けて徹底的に財務分析を行うまでははっきりしなかった。IDBのMIFの財務コンサルタントを務めるアンドレス・ガレットは、「最終利益を生み出すことに投資目的が限定されている大半の事業とは異なり、チャラランの場合にはトレーニングや地域の改善に大量の資金が投じられていた」と説明する。ガレットがこの種の支出を入れてチャラランの分析をしたところ収益は本質的にゼロであった。
ところが、事業関連の投資を厳格に分離したところ、チャラランの収益率は実質11.9%となった。ボリビアの銀行の預金利率は6%から7%であるため、個人投資家にとってチャラランのようなベンチャーは潜在的に魅力的なものであろう。
だからと言って、これからのプロジェクトでチャラランをモデルにすると言っているわけではない。ボリビアでIDBが手がけている新しい観光プロジェクトは、チャラランによって発想を刺激され、チャラランで得られた教訓を大いに参考にしたものではあるが、取り組みは抜本的に異なっている(関連記事:http://www.iadb.org/idbamerica/index.cfm?thisid=317)それでもなおチャラランがパイオニアであり、貧しい辺境の村と2つの強力な国際機関の未曾有の連携から生まれたものであることに変わりはない。地元住民とコンサベーション・インターナショナルとIDBは互いに学び合い、原地地方共同体主体のエコツーリズムに成功する可能性があることを一体となって立証したのである。
(原文をご覧になりたい方はhttp://www.iadb.org/idbamerica/index.cfm?thisid=289 をご参照ください。)
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