すべての人に住宅を
都市部貧困層の長年の必要を満たす一助となりうる低所得住宅への新たな試み

 

チャロ・ケサダ

 ラ米のほぼすべての大都市には、その文化や建築の財産がある一方で、何百万人という人が極貧の中で暮らす数多くの周辺的地区がある。

 ラ米では、4人に3人がすでに都市で暮らしており、世界で最も都市化が進んでいるが、人口の増加と農村からの貧しい出稼ぎ労働者の流入により、地元ではファヴェラ、カランパ、ツグリオ、アセンタミエント、あるいはヴィラ・ミゼリアとして知られるスラム街が拡大するばかりである。まさに便宜主義と無法が規範の社会であり、非合法の「開発業者」が不法に土地を専有し、それを小さな区画に分けて困窮する家族に売りさばいている。

 このようなスラム街での生活は、危険と失望に満ちあふれている。IDBが最近実施した調査によれば、貧困層の多くは、急斜蔓や洪水の危険性のある低地帯、あるいはゴミ廃棄場やその他汚染源の近くなど、危険にさらされている土地に暮らす。バラック、密集、不充分なインフラ整備、あるいは通信や警察などの基本的サービスの欠如が社会問題となっている。最も影響を受けるのは、女性、若者、子ども、高齢者、障害者など社会的弱者である。

 スラム街は都市に多大な負担をかける。都市部の病院にかかる患者の病状は以前に比べ重い。自治体がスラム地区のインフラ整備やサービスの提供に投じる資金は、適切に計画された開発に比べて大きい。スラムの住民は自分の土地に対して法的所有権を持っていないことから、多くの場合、自分たちの地区を良くしようとか、市民の問題に関与しようという意欲に欠ける。企業はスラム地区を避け、経済不振は周辺地区にも影響を及ぼす。

失敗に帰したアプローチ

 こうした状況が受け入れがたいものであることは、皆の意見の一致するところである。問題は、過去の過ちをいかにして正し、将来の都市の成長に向けてとるより良い計画を立てていくのかである。

 「公営住宅によって問題を解決しようという試みはすでになされたが、それでは全く役立たないことが経験から明らかになっただけだ。」と言うのは、IDBの住宅・都市開発担当上級専門家のエドゥアルド・ロハスである。ロハスは、大半の場合、補助金を受けた低コスト住宅ですら、それが意図した住民層の資力では到底、手に届かず、結果として、彼らよりも融資を受けやすい中流階級層がこのタイプの住宅を買い上げてしまう、と説明する。また、もう一つの対策として、低所得層向けの大規模な高層住宅の開発が行われたが、これも同様の結果に終わり、数知れぬ社会悪を生み出した。この間、このような住宅政策が盛んに実施された1960年代から1970年代にかけて、スラム街の住宅が増え続けていった。

 現在、ラ米地域の公営住宅政策は、大規模な総点検が進められている。ロハスは、「各国政府は、住宅建設だけでなく、貧困層の多種多様なニーズへの対応に向けて包括的な解決策を見つけようとその点にも力を注いでいる。チリ、コスタリカ、エクアドル、ニカラグアなど成旺を上げてきた国々の経験から、低所得者層へ、単に住宅を提供するのではなく、仲介者や取りまとめ役として、政府が効果的な役割を果たしうることが明らかとなっている。」と説明する。

 今日、住宅の専門家の間では、家はもはや単なる雨露を凌ぐ場所とは考えられていない。国連人間居住計画(UN-HABITAT)が1995年に定めた住宅の政策指針では、サービスが整備された地区、貧困者の住宅購入を可能にする金融市場、占有地の権限規制の施策、新築住宅および既存住宅の改善のための資源などの一部として、家族住宅をより広い環境と連関させている。

チリの先駆的役割

 チリは、その後UN-HABITATの勧告に見られるようになった様々な構想の多くに先鞭をつけた。1970年代、チリ政府は、低所得住宅を建設して、貸すという役割に内在する限界を克服しようと、他のセクターの指針にもなっていた新自由主義的な考えに基づき、大規模な住宅セクターの改革に着手した。すなわち、住宅建設と資金調達を民間セクターの手に委ね、政府は低所得住宅の取りまとめ役に徹することにしたのである。

 チリ政府は、民間セクターに対し、配管工事、下水道、法的所有権などを整備した不動産を提供するよう促す政策を実施した。結果は良好であった。最低レベルの住宅にもキッチンと浴室を備え、上下水道を整備したところ、健康指標は大きな改善を示した。持ち家がもたらす生活の安定から、住民は家の増築や改修に積極的になった。

 資金調達の分野においては、チリ当局は、住宅を建設するのではなく、最貧困世帯に対し自宅建設の資金調達を援助する施策を採ることを決定した。政府が住宅価格のおよそ20%を提供し、購入者が10%を負担、残りは民間銀行が融資するというものであった。この比率は、貯蓄を奨励し、民間セクターの関与を促進して、政府の温情主義を制限するものであり、持続可能なものとなった。

 しかし、このような成功にもかかわらず、低所得住宅市場への民間セクターの参入を推進するプロセスは、遅々とし、かつ複雑なものであった。広範に及ぶ要件の一つとして、長期抵当ローンに対する地元の投資を支援する金融システムの確立があった。チリは、これを、一連の銀行システムと社会保障の改革によって成し遂げた。この改革により年金基金や保険会社が創設されて、最終的に抵当市場を支えるのに必要な資本が提供されたのである。

スラム街から住宅地へ

 住宅政策の新たな理念のもうひとつの事例は、世界で最も名高いスラム街の一つであるリオデジャネイロの貧民街、ファヴェラに見ることができる。市の中心部の近く、急斜面に迷路のように入り組んで建てられたバラックと路地は、貧困と暴力の象徴となっていた。1995年において、リオには800の貧民街に100万人が暮らしていた。また、これに加えて、高級住宅地の周辺に広がる貧困地区である600の非合法な地区に、設備も不充分な住宅が建てられ、リオの人口の25%が居住していた。

 今ではこれらのコミュニティの中には、道路が舗装され、上下水道、照明が整備され、住宅も改善されて、一般の住宅地と変わらない様子の物も一部ある。(関連記事:http://www.iadb.org/idbamerica/index.cfm?thisid=1429)このような変革は、貧民街や非合法な地区の改善を目的とした、自治体のかつてない投資プログラムの成果である。IDBはプログラムに対し、開始当初から支援を行ってきた。プログラムの理念は、インフラ整備プロジェクトや社会サービスの改善といった事業をすべて地元住民の参加を得て計画し、統合して包括的に行うことによって変革をもたらす、というものであった。貧民街の住民は、優先課題として、学校、保健所、レクリエーション・センター、職業安定所への取り組みを希望した。

 ファヴェラ・バイロとして知られるプログラムの第一段階は、1995年に開始された。4年間で、55の貧民街と8の非合法地区の改善がなされた。
(関連記事:http://www.iadb.org/sds/publication/publication_2993_e.htm,http://www.iadb.org/sds/publication publication_1080_e.htm,http://www.iadb.org/sds/publication/publication_2001_e.htm)

 2000年に開始された第二段階では、さらに52の貧民街と非合法地区の総数3万2,000人の住民の変革に対し資金供与が行われる。総額6億ドルにのぼる投資によって、50万人の生活が改善されるものと期待される。この2段階に及ぶファヴェラ・バイロ・プログラムは、IDBが1980年代から域内において総額およそ26億ドルを投じて資金調達を助けている17の住宅地域改善プロジェクトのひとつである。

 対策を練っているだけでは、ラ米の低所得住宅問題を解決することはできない。とはいえ、現在IDBでは、都市計画の改善、非公式居住地の改善・合法化、土地調査の近代化、住宅金融システムの拡充、ならびに地区委員会設置による管理の分権化などについて市自治体を支援することにより、解決策の提供に一助を果たしている。

 エドゥアルド・ロハスは、「IDBはこの分野でリーダーとなっている。[低所得住宅]はこの新たなミレニアムの開発目標の一つである。IDBは、各国政府が仲介者として新たな役割を担う手助けを行っており、最貧困層への直接助成金の考えを支持する。」と語る。住宅・都市計画分野でのIDBの融資や提案によって、住宅問題に対するこれらの新しい包括的アプローチが次々と成旺を生んでいる。

 ロハスは、「住宅セクターに関して業績指標を改善するなど、克服すべき数多くの難題を抱えているが、各国では新規購入者のニーズに応え、また古くなった住宅の建て替えなど、住宅の新築が始まっており、このような成功談には大いに力づけられる。」と述べている。

 (原文をご覧になりたい方はhttp://www.iadb.org/idbamerica/index.cfm?&thisid=1565をご参照ください。)

 

ホンデュラスのサン・ペドロ・スラにおける助成住宅

 

 


 


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