ハリケーンの余波の中で
破壊的な暴風雨の来襲を受けて、自然災害対策の基準見直しを迫られたドミニカ共和国


ピーター・ベイト 

 1998年9月22日、ハリケーン・ジョージがドミニカ共和国で猛威を振るう数時間前、ドミニカの市民防衛隊長は、全国メディアで、隣国プエルトリコを引き裂いた超大型ハリケーンにドミニカが壊滅されることはないだろうとの予測を述べた。

 しかしこの予測は、緊急事態に陥るやさらに誤った対応が重なり、悲劇的な結末をもたらすこととなった。避難所は閉鎖されたまま、援助物資の配給も間に合わず、避難もうまくいかなかった。すべて、先見性と調整・協調の欠如を露呈する結果となった。

 ハリケーン・ジョージはその後12時間にわたり、共和国のほぼ全土を縦断、時速最大220キロで吹き荒れた。主要観光地が集まる南東部沿岸を襲った後、中部の肥沃な流域を斜めに横断して破壊しつくし、ハイチとの国境を越えて北側の海へと向かった。

 ハリケーン・ジョージによるドミニカ共和国の被害は甚大なものとなった。死者280人、その大半は鉄砲水と地滑りに巻き込まれた人々である。負傷者および行方不明者は数百人に上った。これは、死者わずか3名であったプエルトリコとはあまりに対照的な被災状況である。また、キューバでは、ハリケーンの沿岸上陸前に、東部の県の危険区域から20万人を避難させ、ハリケーン・ジョージによる死者はわずか5名と報告した。

 米国の気象学者は、ハリケーン・ジョージを「どうあっても衰えぬハリケーン」と称した。というのは、素早く通り過ぎて大西洋に抜けるのではなく、ほぼ2週間にもわたり勢力が衰えることなく、17もの諸島を襲来したからである。しかしながら、ハリケーン・ジョージは、最高5でハリケーンの勢力の大きさを表すカテゴリーで言えば、カテゴリー3であり、決して異常なストームであったわけではない。ドミニカの驚くべき死亡者数は、同国の自然災害に対する脆弱性を如実に物語るものにほかならなかった。

 ラ米・カリブ海地域の多くの国も脆弱であることに変わりはない。1999年にIDBとECLAC(国連ラテンアメリカ・カリブ経済委員会)が実施した調査によれば、域内においては3人に1人が自然災害の被害を被っているという。毎年、ハリケーン、地震、津波、洪水、干ばつによって何千人もの命が奪われ、被害総額は数十億ドルにのぼる。しかしながらこうした災害の影響は、貧困、危険区域への定住、環境悪化、貧弱なインフラや住宅、そして緊急事態に対する不十分な備えなど人的要因が災いしてさらに深刻なものとなっているのが現状である。

 この数年IDBでは、借入加盟国との協力をさらに押し進めて、これらの問題に取り組み、諸国の脆弱性軽減に努めてきた。復興融資を得るほか、域内数カ国はIDBに対し、大災害後の救援活動と財政支援に向けて国際的な努力を先導するよう要請を送っている。

 (原文をご覧になりたい方はhttp://www.iadb.org/idbamerica/index.cfm?&thisid=1665をご参照ください。)

ハリケーン復興プログラムによって建設された学校の脇に立つドミニカのこども達

 



Copyright,2003(C)