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| 破壊から再建へ
リオ市民は、スラム街を撤去するのではなく、むしろ改善する道を見出した |
ピーター・ベイト
リオデジャネイロの地図を見ると、この数十年、スラム街一帯はなにも描かれていない。市の人口の5分の1近くが住むこれら貧民街の住人は、よくても、富裕層には無視され、地元の行政には見捨てられていた。貧民街の住人は、世界でもっとも美しい都市環境のひとつを台無しにする社会のあばた、必要ならば力ずくでも排除すべき傷跡とそしられた。
しかし、1980年代の中ばにブラジルが民政に復帰してからは、最貧民層の市民の願いと、建築家、都市計画家、エンジニア、人類学者、社会学者、経済学者そして草の根の活動家の理想とが融合して、リオのスラム街に対し新たな意識が生まれ始めた。小規模な自助コミュニティ・プロジェクトのパイロット・プログラムに始まり、1980年代末までに、市当局は、スラム街に対処する革新的な戦略を打ち出した。スラムの集落を解体して、住民を公営住宅に押し込むのではなく、スラム街の基盤インフラを整備し、大いに必要とされていた社会サービスを提供しようとした。
1995年、IDBの支援を得たリオデジャネイロ市は、「スラム街改善プログラム」に着手した。これは、100万人以上が住むみすぼらしい貧民街を立派な地区に変え、正規の都市構造に組み込もうという事業である。
とてつもない挑戦であったにもかかわらず、スラム街プログラムは大成功を収めた。今では途上国で都市のモデルとして高い評価を受けているこのプログラムは、リオデジャネイロで早くも一般市民の支持を得て、2人の一流政治家が発案者は誰か公然と言い争うまでに至ったほどである。
「スラム街プログラムは、一都市が貧しい集落に対処するために始めた、ラ米のみならず世界でもっとも野心的で将来を視野に入れた地区整備プログラムのひとつである。」と、都市問題の分析に当たる専門家の国際ネットワーク、メガシティ・プロジェクトの会長、ジャニス・E・パールマン博士は言う。
同プログラムの下で、市当局とIDBは、6億ドル以上の資金を投入、そのうちの大半は市内600カ所にあるスラム街のうちのおよそ120のスラム街の公共工事に充てられる予定である。こうした投資には、郵便さえ配達されなかったところにも、飲料水、下水道、雨水排水路、ゴミの廃棄、街路照明など基本的なサービスを提供するのみならず、道路を建設し、公園、運動場、その他公共スペースを整備することが含まれる。
プログラムはまた、受益者のコミュニティに、市民団体によって提供される一連の社会サービスも提供する。2000年に完了したスラム街プログラムの第一段階で、プログラムは働く母親の便宜をはかるために不可欠なデイケア・センターを建設した。第二段階では、住民自身の要望に応えて、学業維持・強化プログラム、青年指導活動、ならびに家庭内暴力、性的搾取、十代の妊娠、薬物およびアルコール中毒に関するカウンセリングなどのサービスも追加された。また、成人教育や職業訓練を提供する所得創出プログラムも、オプションとして盛り込まれた。
「必要なものを探すため、遠くを見る必要はなかった。何が必要か、住民が教えてくれた。」と、IDBのプロジェクト・リーダーであるホセ・ブラカルズは語る。彼は、およそ10年前にブラジルの当局者が最初にこの計画を提案して以来スラム街プログラムに従事してきたリオ生まれの都市立案者である。
IDBがプログラムの支援に提供したのは資金に留まらない、とリオの当局者は指摘する。IDBチームのメンバーは、リオ当局のパートナーと緊密に協力し、市当局が実施機関を組織し、どの順でスラム街を整備していくのかを判断するための指標や、プロジェクトを予算内におさめるためのコスト・コントロールを含む実施法を策定するのを助けた。小規模なコミュニティ整備プロジェクトの監督に当たったことのある政府エンジニアが、全地区の整備プログラムのマネジャーとなった。
当初から、スラム街プログラムは、万能策を避けた。「スラム街はそれぞれにニーズが違うし、異なった解決策を必要としている。」と、プログラムのマネジャーであるマルシア・ガヒドは言う。第一段階で、市当局は、500世帯から2,500世帯が住むスラム街の整備案を募集して設計コンペを実施した。コンペには野心を抱く若い建築家はもとより定評ある建築事務所からも創造性豊かなプランが寄せられた。それ以降の段階で、コンペに代わり一般競争入札が行われた。
コミュニティの参加
プログラムの参加型方式に従い、整備案は各コミュニティの住民と詳細に議論され、プログラムの受益世帯当たりの投入可能な予算限度に基づき、住民が、物理的なインフラ・プロジェクトの場所やどのような社会サービスを提供するかについて決定を行う。コミュニティの参加は、道路拡張のため家族を移動させたり、危険な地区から住宅を撤去するなど、難しい決断の実施を円滑に進めるのに役立つ。
インフラ整備プロジェクトの成果には、受益者さえも驚かされた。「我々の生活の質はたいへん向上した。」と、モロ・ダ・セヒーニヤにある人口3,500人のコミュニティ、グロタの地区組合長サンドラ・ノゲイラは言う。「道が舗装されたので、もうぬかるみを歩かなくてすむし、自宅に給水タンクがあるので、もう汚染された水を飲まなくてすむ。」と彼女は言う。「それに、コミュニティがよくなっていくのを目にすれば、自分たちの家の手入れもするようになる。」
市内中の他のスラム街でも、同じような成果が上がっている。そこでは家の外に砂やれんがの小さな山が積まれているのが目につく。リオデジャネイロの西部地域にある人口約3,700人の低所得層地区アナ・ゴンザガでは、かつては水道も、舗装道路も、街灯も、下水溝もなかった地域が、スラム街プログラムによって一変した。スラム街プログラムによって、当初の開発業者が建設に失敗したインフラが整備され、アナ・ゴンザガの住民は各人の財産に法的所有権を申請できるようになるだろう。
地区組合長のジャシアラ・パディリヤ・ドス・サントスは、次のように指摘する。アナ・ゴンザガには、今では、5箇所の公共広場があり、遊び場も兼ねた歩道、週3回のゴミ収集、乳幼児150人を収容できるデイケア・センター、7歳から17歳までの青少年を対象とする放課後のプログラム、そして家庭内暴力について相談を行うカウンセリング・サービスなどが整備された。「率直に言って、プロジェクトが開始されるまで、ほとんどの人がこのようなことが実現するとは思っていなかった。」と言い添えた。
プログラムは、また、不動産市場にも多大な影響を与えている。リオデジャネイロの住宅事務局のテクニカル・コーディネータ、アデルバル・ジョゼ・クルベロによれば、住宅の価格は、スラム街プログラムの恩恵を受けた地区では2倍に跳ね上がり、また近隣地区の価格もおよそ20%上昇したという。プログラムの対象となった34のスラム街について調査したところ、企業も急増し、およそ2倍の2,250社に達していることが明らかになった。
増大する課題
スラム街プログラムが成熟するにつれ、同プログラムは増大する課題に直面している。プログラムは、経験を積んで、はずみをつけるため、成功の確率がもっとも高いと思われる地区で始められた。プログラムの拡大に伴い、新たなコミュニティはすべて、これまでより複雑な問題を提起する。加えて、すでに改善が行われた地区は、保守整備を要求する。物理的インフラは劣化し、コミュニティに基盤を置くプログラムは行き詰まる可能性があり、危険の多い地域は再定住の必要な場合がある。その上に、リオデジャネイロ全域の市民にとって大きな問題である犯罪が起こる。
市民はよく、政府に挑む闇の勢力オ・ポデル・パラレロ(等しい勢力)として市内最大の一部スラム街で暗躍する麻薬ギャングを、話題にする。リオデジャネイロ当局は、公権力の及ばないところに犯罪が蔓延することはかねてから気がついている。しかし、ブラジルの警察は、地方自治体の管轄下にはなく、州および連邦当局の支配下にあるため、市当局の法執行の選択肢は限られている。従って、市当局は、暴力を育む状況と闘うためには、スラム街プログラムのような手段に頼らなければならない。
プログラムのマネジャーであるマルシア・ガヒドは、リオデジャネイロの南部地域にあるスラム街、ヴィジダルを例に挙げる。遊び場のある公共の広場、デイケア・センターならびにキオスクが、麻薬を密売するギャングが使用していた家の正面に建てられた。「今では、託児所には120人の子どもが預けられており、課外プログラムには100人以上の児童が参加、いつもサッカーの試合が行われ、ダンスのクラスも開かれている。(麻薬密売人は)別のところに移動し、辺りをぶらつくこともなくなった。」とガヒドは言う。しかしほかの地区は、これほどうまい具合には進んでいない。
スラム街プログラム当局者は、生産性水準を上げ、貧困層に対して経済的機会を増大することを目的とするプログラムの所得創出事業に大きな期待をかけている。これらのコミュニティでは、大半の大人は働いているが、その所得水準は、裕福な隣人のそれよりはるかに低い。2000年のブラジルの国勢調査資料によれば、リオデジャネイロの最高級地域の一つ、バハ・ダ・ティジュカの世帯主の平均月収は、5,175レアルであった。近隣のファヴェラ・ド・アング・ドゥロでは、わずか382レアルであった。その一方、聞くところによれば、麻薬ギャングは、取引現場で見張りに立つ若者に1カ月およそ600レアル支払っているという。スラム街プログラムでは、自営労働者や零細企業家が協同組合を創設するための技術援助や職業訓練を受けるのを支援するために、クーポン制度が考案された。また、スラム街の高齢住民は非識字率が比較的高いことから、その対策として成人教育講座が開設された。所得創出事業が計画された時にリオデジャネイロの労働長官であった経済学者のアンドレ・ウラニは、差別撤廃は物理的インフラや公共サービスに留まらず行われなればならない、と強調する。「水道や街灯などを整備することは全て大変結構なことだが、人々が読み書きできず、失業していれば、公共料金を支払うことができない。」と彼は指摘する。
開発普及
リオデジャネイロ当局は、この課題を認識し、スラム街プログラムのこれまでの業績と今後の方針について評価を進めている。プログラム担当官の間では、選択肢を限るのではなく、ひとつのコミュニティにすべてのサービスを提供してみようという試験的な経験の可能性が話し合われている。住宅事務局では、その他都市問題に取り組むための数々の構想を実施している。たとえば、最小のスラム街の整備を図るプログラムであるバイヒーニョ、非公式な区画での土地の所有権を設定し、財産を正規化するプログラムであるモラール・レガル(法律を守って住む)、古い建物の再利用を促して、企業を呼び戻し、低コスト住宅を建設する都市再生プログラムであるノヴァス・アルテルナティヴァス(新たな選択)などである。
市当局は、リオデジャネイロ最大のスラム街の一部が抱える問題にも取り組み始めた。人口およそ6万人を擁するコミュニティのジャカレジーニョでは、スラム街プログラムの元マネジャーであるマリア・ルシア・ペテルセンが、ドイツのバウハウス・デッサウ財団と共同で、セルラ・ウルバナ(アーバン・セル都市細胞)プロジェクトに取り組んでいる。プロジェクトは、レクリエーション、教育および商業用の場所を提供するため、過密なスラム街の中に公共空間または「セル」を設けるとともに、近隣の物理的インフラや社会サービスを向上することを目指している。「アーバン・セルがスラム街の他の部分に開発を広げるという考えである。」とペーテルセンは説明する。
スラム街プログラムは、ジャカレジーニョのような地区にも適用できる数多くの教訓を生み出した、とペテルセンは言う。ペテルセンの考えによると、最も重要なことは、これらのプログラムが特に予算編成の面で継続性を必要とするということである。これは、多数の機関が関与する複雑な事業を扱う場合の重要な課題である。しかし、もっとも根本的な教訓は、スラムを一変させ、住民が行う投資を利用することが可能だということである、と彼女は言う。リオデジャネイロは、自分たちの生活を築き上げたところから人々を立ち退かせるのではなく、新たな地区を建設する費用のごく一部で、1世紀にわたる古い都市問題に解決策を講じているのである。「最初この考えを提出したときには、誰もがまったくばかげた計画だと考えたものだ。」とペテルセンは言う。「でも、順調に進んでいる。」
(原文をご覧になりたい方はhttp://www.iadb.org/idbamerica/index.cfm?thisid=1429をご参照ください。)
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