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フェルナンド・カリジョ・フローレス
一見したところ、2001年9月にペルーで開催された米州機構(OAS)の総会は、9月11日に発生した極悪なテロ事件によって永遠に影がうすくなってしまうように思われる。
しかし、私はそう思わない。米州民主主義憲章を承認して終わったこの総会は、OAS史上最も重要な会議と目されるようになるのではないだろうか。
コリン・パウエル米国務長官が憲章の承認に向けて働きかけをするためにリマに到着したのは9月10日の夜、報道陣が、湾岸戦争の英雄を米国の外交政策のトップに指名することについて質問をしようとしている矢先のことだった。しかし、翌11日の朝、34名の外交担当閣僚が揃った正式な朝食会の最中に、あの悲惨なテロ事件のニュースが飛び込んできた。34閣僚が用意していたスピーチは一転無意味なものになり、OASの会議は、「危機の場合には、民主的手続を実行し、市民は民主主義を守る態勢を整えなければならない」という事実を立証する場となった。パウエル長官は、この由々しき緊急事態を受けて即刻帰国の途につく前に、最終原案を検討する予定になっていた米州民主主義憲章を「発声投票で承認を決めてはどうか」提案し、実際に発声投票で承認が決まったのであった。
その前日は、OAS総会史上前例のないことが起きていた。外交担当閣僚は市民団体の代表者との会議に出席していたが、翌日に起きたことを考えれば、この会議は最終的に憲章の範囲や意味合いについて検討する唯一の機会となった。それまで、8,000以上の市民団体が憲章の検討に参加し、その貢献により文言は充実したものになっていた。主催国ペルーで民主主義への移行を実現する要となっていた同国の団体「透明性の市民協会」は、著作権を得て団体から寄せられた寄付で憲章を発行・配布した。
リマの市民団体が、シアトルやワシントン、ベニスの市民団体と違う方針を採用したのは正解だった。民主制度の強化を求めて過渡期にあるラ米にとって、民主主義を守り、民主主義からの逸脱を防ぐために民主主義の定義を広める手段は軍政の困難な遺産を克服するため不可欠なものである。また、憲章は、「民主主義を守るためには民主主義を犠牲にしなければならない場合もある」と主張した、20世紀後期に選ばれた独裁政権の論理のように、過去のクーデター政権とは違う新しい脅威も考慮に入れることを暗に示している。その真意は、auto-golpesつまり「自主クーデター」の実行、議会の解散、司法の独立を認めないこと、基本的権利の侵害、不正選挙、軍事集団の結成、自由の制限、メディアの操作や遮断など、ポストモダンの独裁者が選択できる選択肢を排除することにある。
憲章は、民主主義秩序における「違憲な妨害」と言う考え方を中心に展開している。憲法は、「束縛」としてではなく、「独裁者の策略に対抗できる民主的文化によって監督される秩序」として理解されているのである。したがって、さまざまな行動によって憲法制度を変更させることもできるし、民主主義のプロセスに影響を与えることもできるが、これは米州体制の立案者には想像もできないことだった。これこそ、民主主義が復活するまで民主主義を守るために、OASを中心として、米州体制が活動を始めるべき部分である。
4月にケベックで開催された米州サミットでは、以前から認識されていた民主主義と開発との切り離せない関係を反映して、ケベック市宣言及びサミット行動計画に記載された合意が成立した。そして、米州開発銀行(IDB)が先頭に立ち、「独裁者の原理は開発を促す最高の刺激剤ではない」ということを根拠に、貧困と不平等と闘う条件として「民主主義と開発の相互依存性」という概念を導入した。エンリケ V・イグレシアスは、「政治は、制度と経済を結ぶきわめて繊細な絆であり、したがって開発にとって重要なものである」と再三述べている。ラ米では、民主主義的な状況で政治はまだ行なわれてない。
民主主義憲章のルーツは、ケベック市米州サミットで承認された民主主義条項にある。この条項は、政治的発展と民主主義的ガバナンスという点でこのサミットで実現した最も明快な功績の一つだが、その偉大さは、新世紀に向けた開発の課題で設定された優先事項に直結している。それは、違法に権力を掌握した政府、または自由選挙で権力を獲得し、権力の恣意的行使で民主主義制度に悪影響を与える政府に外交的制裁を課すこともある民主制度を守るための集団的行動を前提としている。
この民主主義条項は、単なる言葉の遊びではなく、将来地域における政治的、経済的、社会的統合の恩恵を受けられなくする効果的仕組みとして表現されている点に意味がある。例えば、この条項が適用されると、多国間機関から融資を受ける機会にも影響が出る。なぜならば、この条項は、制度に属する全ての機関にとって絶対的な条件になるからである。2001年6月にコスタリカで開催された総会ではその趣旨の決議が採択され、IDBが民主主義条項をその明白な含意と共に実施することが認められた。
要約すると、民主主義憲章は新しい出発点であり、「民主主義の維持と擁護に対する多国間の共同保証となっている一つの文書の中に構成され、連結された行動力の原理、基準、機構の実体である」と言われている。しかし、ラ米でもこれまでに素晴らしい規則が多く条文化されてはいるが、必要な時に実際に使われたためしがない。ラ米地域における政治制度の信頼性と妥当性の欠如は、国際的な命令を出しただけで解決できるものではない。しかし、正しい方向へ大きな一歩が踏み出されたと言えるだろう。
政治は、9月11日以前に失っていた立場を回復した。なぜならば、今となっては、紛争解決及び基本的権利を保護する一つの方法としての民主主義を保証する、強く、賢く、効果的な国家の必要性を誰も否定できないからである。しかし、政治文化の抗体を持たない我々の民主主義にとって課題は大きいだろう。あらゆるワクチンと同様、この憲章はこの地域の開発に大きな混乱を与えている欠陥、つまり優れた政治の欠如の結果として、独裁主義が勃発している間に必ず試されるだろう。
憲章は、「制度に対する最も深刻な脅威が迫っている時でも、唯一の対応がなぜ、過剰や介入や自己犠牲が一切ない同じ民主主義という手段でなければならないのか」を説明すべきであろう。セサ−ル・ガビリアは、「憲章は、その最大の力である民主主義的行動に対するマニュアルであり手引書でもある」と言っている。民主主義の実施と効果は、最終的に憲章にかかっており、その憲章に基づいて民主主義を学ぶ素晴らしい時代となることを望みたい。
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